練習で歌う曲は、たいてい「好きだから」で決まっています。ところが半年たっても、歌えるようになった曲は増えているのに、声そのものは同じ場所にいる。
これは珍しいことではありません。好きな曲は、たいてい今の自分でも歌い切れる範囲に収まっています。歌い切れるということは、負荷がかかっていないということです。負荷がかからなければ、身体は変わる理由を持ちません。
だからといって、好きでもない曲を義務で歌うのも続きません。必要なのは、好みを捨てることではなく、教材としての曲をもう一枚持つことです。
この記事では、難度の測り方、課題の絞り方、選ぶときの落とし穴、そして選び直す時期を順に見ていきます。
好きな曲を練習曲にしていい?
好きであることは条件の一つですが、それだけでは教材になりません。
好きな曲には強みがあります。何十回聴いても飽きない、細部まで記憶が残っている、歌っていて気持ちが動く。この三つは練習を続けるうえで実際に効きます。ですから、好みを外す必要はありません。
問題は、好きな曲だけで組んだときです。多くの人は、自分が気持ちよく歌える曲を無意識に選びます。気持ちよく歌えるということは、今の力の範囲に収まっているということで、そこには伸びしろがありません。
熟練した歌い手の練習行動を調べた研究では、目標が具体的であること、その場で自分の声を確かめ直していること、自分の状態を自分で観察していることが共通の特徴として挙がっています(出典:熟練歌手の練習行動を分析した研究)。曲そのものが「確かめる対象」を持っていないと、この構造は作れません。
教材としての曲は、何で選ぶ?
今の力で八割歌えて、二割が届かない。この位置が一番動きます。
全部歌える曲は、確認にはなりますが訓練にはなりません。逆に、まったく歌えない曲は、どこを直せばいいのか判別できないまま消耗します。八割という言い方は感覚的ですが、実際に測る方法があります。
音源に合わせて一度通し、詰まった箇所に印をつけてください。印が全体の二割以内なら教材として使えます。半分を越えるなら、その曲は今ではありません。
| 詰まった割合 | その曲の位置づけ |
|---|---|
| ほぼゼロ | 人に聴かせる用。練習の教材にはならない |
| 1〜2割 | 課題曲として最適。伸びが測りやすい |
| 3〜5割 | キーを変えれば使える場合がある |
| 半分以上 | 今は保留。数か月後にもう一度 |
三割から五割の帯は、キーの調整で救えることがあります。高さの合わせ方は自分に合うキーの見つけ方にまとめてあります。原曲キーにこだわった結果、教材として成立しなくなっている例はかなり多く見かけます。
届かない二割は、どんな二割?
種類が一つに絞れていることが条件です。複数が混ざると原因を特定できません。
詰まる理由は、大きく分けて次の四つです。自分の印がどれに当たるかを確かめてください。
- 高さ:音域の上端や下端で届かない(音域を広げる順番)
- 言葉の詰め込み:音符に対して言葉が多く、乗り切らない(譜割りの考え方)
- 息:フレーズが長く、途中で足りなくなる
- 表現の幅:音は取れるが平坦に聴こえる(表現力の付け方)
四つのうち三つが同時に出ている曲は、教材としては重すぎます。一つに絞れる曲を探してください。絞れていれば、その曲で何を練習しているのかを一行で書けます。前日に一行で課題を決める習慣は、練習が続かないときの仕組みで扱っています。
選ぶときに、はまりやすい落とし穴
音域だけで選ぶこと、そして原曲の完成形を基準にすることです。
音域だけで判断する
「最高音が出るから歌える」と考えると、たいてい外します。一音だけ届くことと、その高さの前後を含めて設計できることは別だからです。最高音の一つ下の音域が、どのくらい連続して出てくるか。そちらを見てください。
原曲の完成形を基準にする
職業歌手と、そうでない歌い手の声の聴こえ方を比べた研究では、複数の側面で違いが認められています(出典:学習途上の歌い手と職業歌手の声の聴こえ方を比べた研究)。原曲は、その差の向こう側にある完成品です。そこに一足で届かないのは当然で、教材として使うときは「どの一点を真似るか」を決めてから聴くほうが有効です。
長すぎる曲を選ぶ
五分を越える曲は、一回通すだけで負荷が高く、繰り返せません。教材にするなら四分前後まで。あるいは、一番だけを教材と決めてしまう手もあります。
様式の違いを、選定に入れる
同じ難度でも、様式が変われば必要な力が変わります。
グルーヴを土台とする五つの様式を比べた研究では、音を置く位置や音の質感が様式ごとに異なることが示されています(出典:五つの様式のタイミングと音を比較した研究(Popular Music))。つまり、リズムを鍛えたいのか、長い音の設計を鍛えたいのかで、選ぶべき曲の種類が変わります。
揺れの技術についても、様式によって現れ方が違うことが報告されています(出典:様式とビブラートの関係を分析した研究(Journal of Voice))。伸ばす音の練習をしたい人が、細かく刻む曲ばかり選んでいると噛み合いません。
どの様式が自分の声と合うかについては、自分の声に合うジャンルの選び方とジャンルで歌い方が変わる三つの物差しを参照してください。
二曲構成で持つ
伸ばすための曲と、聴かせるための曲を分けます。
課題曲だけを回していると、うまくいかない箇所ばかりに触れることになり、消耗します。逆に聴かせる曲だけでは伸びません。両方を並べて、週の中で役割を分けるのが現実的です。
目安として、練習時間の七割を課題曲、三割を聴かせる曲に置いてください。練習の頻度と時間の決め方で挙げた週の配分に、そのまま乗せられます。覚える作業は歌詞と曲の覚え方の手順で並行して進められます。
選び直すのは、いつ?
届かなかった二割が埋まった時点で、その曲は教材としての役目を終えます。
ここで多くの人が、同じ曲を歌い続けてしまいます。歌えるようになった曲は気持ちよく歌えるので、手放しにくいのです。けれど、負荷が消えた曲は聴かせる側へ移すのが筋です。
期間の目安は六週間から八週間。それより短いと定着せず、長いと次の課題に進めません。そして選び直すときには、前回とは違う種類の二割を持つ曲を選んでください。同じ弱点ばかり触っていると、他の四つの指標が置き去りになります。
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よくある質問
Q. 課題曲は、何曲まで並行していいですか?
二曲までをおすすめします。三曲以上になると、一曲あたりの反復回数が足りず、どれも二割が埋まらないまま時間が過ぎます。
Q. 自分の声に合わない曲は、避けるべきですか?
聴かせる曲では避けて構いません。課題曲としては、合わない理由が一つに特定できるなら、むしろ有効な教材になります。
Q. 原曲キーで歌えないと駄目ですか?
そのようなことはありません。キーは曲に合わせるものではなく、自分の声に合わせて決めるものです。まずは歌える高さで設計してください。
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