本番当日の朝、声を出してみると明らかに重い。いつもの高音が細く、少し引っかかる。準備してきたとおりには歌えそうにない。そんな日の本番をどう乗り切るかは、どの歌い手にとっても避けて通れない課題です。
調子が悪い日にいつもどおりの歌い方を貫こうとすると、足りない分を喉の力で補うことになり、途中でさらに崩れていきます。かといって、何も決めずに本番に出ると、どこで守りに入るかをその場で迷い、歌全体がちぐはぐになります。
調子の悪い日には、調子の悪い日の歌い方があります。それを前もって持っておくことが、本番に強い人の条件の一つです。
歌うかどうかの線引きから始め、当日の声の確かめ方、組み替え方、途中で崩れたときの立て直し、本番後の扱いまでを取り上げます。
調子が悪い日に、歌っていいの?
痛みや強いかすれがあるなら、歌わない判断が先です。重いだけなら、組み替えて歌えます。
最初に決めておきたいのは、歌ってはいけない状態の線引きです。飲み込むときにも喉が痛む、声がかすれてほとんど出ない、血が混じる。こうした状態で本番に出ると、声を大きく傷める可能性があります。かすれが2週間以上続く、痛みが強いといった場合は、耳鼻咽喉科の受診を考えてください(出典:音声障害診療ガイドライン2018年版)。
一方で、朝から声が重い、高音がいつもより細い、少し引っかかる、という程度なら、歌い方を組み替えることで本番を成立させられます。この記事で扱うのは、こちらの場合です。声がなぜ日によって変わるのかという背景は歌の調子が日によって違う理由で整理しています。
今日の声は、どう確かめる?
三つの確認で、どこまで出せるかを本番前に測っておきます。
ウォームアップを終えたら、次の三つを確かめます。
- 曲の最高音の一つ手前の音を、七割の声で出せるか
- 最高音を、ハミングや小さい声で出せるか
- サビを一回、本番のつもりで歌ったあと、声が重くならないか
朝いちばんの声は重いのが普通なので、判定は声が起きてから行います。起こし方は寝起きの声を歌える状態にする方法で扱いました。確認の結果によって、どこまで組み替えるかを決めます。
| 確認の結果 | 本番での組み替え |
|---|---|
| 最高音の手前までは出る | 最高音の出し方だけを変える(軽い声に切り替える、短く切る) |
| 手前の音から重い | 音量の山を一か所に絞り、ほかは抑える。可能ならキーを下げる |
| サビ一回で声が重くなる | 全体の音量を一段落とし、マイクとの距離で聴こえ方を保つ |
何を変えて、何を残す?
リズム・言葉・音程は残し、音量の山と最高音の出し方を変えます。
聴き手が歌を「崩れた」と感じるのは、リズムがずれたとき、言葉が聴き取れないとき、音程が外れたときです。反対に、音量が少し控えめでも、最高音の出し方が違っても、骨組みがしっかりしていれば歌は成立します。調子の悪い日に守るべきは、この骨組みです。
音量の山を、一か所に絞る
一曲の中で声を張る場所が三か所あるなら、いちばん大切な一か所だけを残し、ほかは一段抑えます。すべてを抑えると平坦になりますが、山を一つに絞ると、その一か所がかえって際立ちます。
最高音の出し方を、先に決めておく
張った声で出していた最高音を、軽い声に切り替える、短く切る、オクターブ下で歌う。どれを選ぶかを本番前に決めておき、その場で迷わないようにします。ポップスやロックのプロ歌手を比べた研究では、声の出し方を部位ごとに学んだ人ほど、声質を意図的に切り替える幅が広い傾向が報告されています(出典:Journal of Voice)。普段から一つの音に複数の出し方を持っている人ほど、調子の悪い日に選択肢が残ります。
キーを下げる判断
伴奏の音源を差し替えられる、バンドと事前に打ち合わせられるといった場合は、キーを下げるのも有効な選択です。下げることの意味と、下げ幅の考え方は自分に合うキーの見つけ方で詳しく扱っています。当日に変えられない場合は、ここまでの二つで対応します。
表現は、どうやって保つ?
「強さ」で伝える表現から、「近さ」で伝える表現に軸を移します。
調子の良い日の表現は、声の強さに頼っている部分が少なくありません。調子の悪い日は、その代わりに、言葉を丁寧に立てる、語尾の処理を細かくする、間を長めに取るといった方法で、聴き手との距離を縮めます。耳元で語りかけるような表現は、大きな声とは別の説得力を持ちます。
マイクがある本番なら、口とマイクの距離を少し近づけるだけで、声を押さずに音量を補えます。距離による音の変化はマイクの距離と角度の使い方で扱っています。抑揚は「大きい・小さい」の差で作るものなので、全体の音量を下げても、その中で差をつければ表情は残ります。抑揚の作り方は歌に抑揚をつける方法を参考にしてください。
歌っている途中で、声が出なくなったら?
押して取り戻そうとせず、下げる・抜く・語るのどれかに逃がします。
歌っている途中で声が裏返った、高音が出なかった。こうしたとき、次の音で取り返そうと声を押すと、さらに崩れやすくなります。その場で使える逃がし方は三つです。次のフレーズをオクターブ下で歌う。声を抜いて息の多い声にする。一部を語るように言葉で運ぶ。どれも、決めてあれば落ち着いて選べます。
準備した通りに歌えない状況で、その場で形を変えて歌い続ける力は、練習で育てられます。歌のレッスンの中で即興で歌う経験を取り入れたところ、演奏不安が和らいだという報告もあります(出典:即興歌唱と演奏不安を扱った研究)。本番前の一週間に、止まらずに立て直す通し練習を入れておく方法は本番前の一週間の練習の変え方で扱っています。
本番が終わったら、何をする?
その日は声を休め、翌日以降の声の戻り方を確かめます。
調子が悪い中で歌い切ったあとは、打ち上げなどで大声で話すのを控え、声を休めます。ストローを使った発声のように、喉の中の空間を広げて声帯がぶつかる衝撃を下げる練習は、負担を抑えながら声を鳴らせることが理論的に説明されています(出典:半閉鎖声道エクササイズの利点をまとめた論文)。本番後に軽く使って、声を落ち着かせるのも一つの方法です。
数日たっても戻らない、かすれが続くという場合は、回復の手順と受診の目安を歌うと声が枯れる理由と回復の基本で確認してください。
よくある質問
Q. 調子が悪いことを、お客さんに伝えたほうがいいですか?
伝える必要はありません。組み替えた歌い方が決まっていれば、聴き手には「いつもと違う表現」として届くことが多いです。言い訳から入ると、かえって聴き手が不安になります。
Q. オクターブ下で歌うと、盛り上がりが消えませんか?
その一音だけなら、前後の言葉と間の取り方で盛り上がりは保てます。むしろ無理に出して裏返るほうが、聴き手の意識が音の失敗に向いてしまいます。
Q. 調子が悪い日の歌い方も、練習しておくべきですか?
はい。最高音の軽い出し方やオクターブ下の歌い方を普段から一度は通しておくと、本番で迷わず選べます。調子の良い日にこそ、逃がし方を練習しておくと安心です。
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